日別アーカイブ: 2019年3月29日

国会における単一民族・大和民族発言について

過去の議事録を検索してみると、確かに国会での発言には単一民族や大和民族と云う言葉が使われているケースが多々あります。

そこで、どういう用語として用いられているのか、そうした根拠を解説している質疑を探したところ、こちらに有りました。


第107回国会 国民生活に関する調査会 第2号
昭和六十一年十一月五日(水曜日)
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/107/1476/10711051476002a.html

委 員:及川 一夫君
参考人:放送大学教授 加藤 秀俊君

○及川一夫君 加藤先生、大変ありがとうございました。
 私は社会党に所属している議員でございますが、与えられた時間が二十分ということになっておりまして、興味ある国際化の問題について大変質問したいことが多いんでありますけれども、限られた時間でございますから、より深めたいという意味でお伺いをさしていただきたいと存じます。
 まず、先生の方から人種と民族の違いを明確にされまして国際化という意味をお話しいただいたんですが、我々の場合には、振り返ってみると人種も民族もごちゃまぜにして、要するに白人、黄色人種、黒人、その違いはわかっているんですが、それ自体が民族であるかのような誤解が非常に多いというふうに思うんです。そのことは逆に言うと、民族というものを何をもってA、B、Cの民族に振り分けていくのか、定義といいますか、基準といいますか、標準といいますか、そういうものがこれまで説明されてはいなかったんではないかというふうに思うんですが、先生の立場から見て、民族の違いというものは、どういうものを尺度にしてアジア民族であるとか、大和民族であるとかいうふうに言うのかということについてお伺いをしたい。
 それから、単一民族ということを国会でも中曽根総理が御発言になるものですから、またそういう発言があってアイヌの方々が単一民族ではないということを言われ、私たちもはっとさせられるものが実はあったわけなんであります。我々は教育としても大和民族単一民族ということで言われてきたような気がしますし、それを当然のように思い込んできたという点、これは教育のしからしむるところもあるのでしょうが、日本は単一民族でないとすれば、アイヌだけなのかどうなのか。日本民族が単一民族でないとすれば、幾つの民族が一つになって日本国というものを形成しているのかという点、先生の立場から見ておわかりでしたらお教えいただきたいものだなというふうに実は思います。
(中略)

○参考人(加藤秀俊君) ありがとうございました。限られた時間でございますので、多少簡略化いたしますことをお許しいただきたいと思います。
 及川先生の今の御質問でございますけれども、第一、第二を取りまぜて申しますと、民族というものをどう定義するかということでございますが、学問的に申しますと、同一の言語を使って、言語というのは非常に大事な文化要素でございますが、同一の言語を使い、同一の生活様式を分かち合っている集団であって、多くの場合、多少一つ二つの例外はございますけれども、一定の地理的なテリトリーを持っている、そこに永住しているということでございます。
 したがって、先ほど申しましたコーカソイド、白色人種でございます、の中のゲルマン民族ですね、これは一般に、本当はもっと正確に言うとゲルマン民族のサブにあるんですけれども、ゲルマン民族を仮にドイツ人というふうに呼びましょう。それからアングロサクソン、これが大体同じ人種でありながらまた一つの民族を形成しております。それから、ケルト民族というのも、これはケルト語というのは英語なんかと違いますので、そういうことでございます。つまり、言語とそれから生活様式を長期にわたって分かち合ってきた集団、そしておおむね大小の差こそあれテリトリーを持っているということでございます。全くこのテリトリーを持たないのが例えばユダヤ人といったようなもので、これがユダヤ民族問題を起こしていることは申し上げるまでもございません。
 日本の場合でございますけれども、文化人類学の方ではアシミレーション、つまり同化という言葉を使いまして、たとえ民族のオリジンが外国人であっても、一つの文化の中でだんだん揺さぶられているうちに、二代、三代かかって言語、生活様式などが身についてまいりますと、その民族に同化されたということになるわけでございますから、したがって日本民族が単一民族であるというのは、今申し上げた意味から申しますと条件を満たしているのではないか。ただし、ベトナム難民とかそれから中国残留孤児とか、そうした人たちがまた日本国内に居住され始めますと、そこには異なった民族集団というものが混在するということになるかと存じます。
(中略)


上記が国会答弁の内容になります。

もちろん「学問的な解釈に基づく定義」ですから、その後の知見・研究によって解釈が変われば、これらの内容は現在の定義とは一致しない部分も有るかも知れません。

ただ、当時の知見の上では「二代、三代かかって言語、生活様式などが身についてまいりますと、その民族に同化されたということになるわけでございますから、したがって日本民族が単一民族であるというのは、今申し上げた意味から申しますと条件を満たしているのではないか。

と述べられており、これに基づいて日本国民を単一民族と呼んで差支えないのではないか、という判断が示された事と、そして、この解釈であれば「ただし、ベトナム難民とかそれから中国残留孤児とか、そうした人たちがまた日本国内に居住され始めますと、そこには異なった民族集団というものが混在するということになるかと存じます。 」となり、それ以外については「異なる民族では無い = 同じ民族」として、国会用語の「単一民族」が用いられたのでしょう。

シャクシャインの真実とは?

日本最大の辞書・辞典検索サイト「ジャパンナレッジ」より


日本大百科全書 『シャクシャインの戦 』

1669年(寛文9)、東蝦夷地(ひがしえぞち)シブチャリ(北海道新ひだか町)に拠点をもつアイヌの首長シャクシャインが起こした蜂起(ほうき)。
この蜂起は東西蝦夷地の各地に波及し、鷹待(たかまち)(鷹匠)や商船の船頭など日本人390人余(『津軽一統志(つがるいっとうし)』)が殺された。
松前(まつまえ)藩への攻撃も企てたが、国縫(くんぬい)(長万部(おしゃまんべ)町)で防ぎ止められ退いた。

この戦いの前段には、松前藩への接近策をとるオニビシ(ハエを拠点とするハエクルの首長)との抗争があった。
この抗争のなかでオニビシが殺され、ハエクル一族は松前藩に援助要請の使者を送り、援助を求めたが成功せず、使者も帰路に病死した。
それが、松前藩による毒殺であるとの風説となって対日本人蜂起の直接のきっかけとなった。
…(後略)


改訂新版・世界大百科事典

1669年(寛文9)6月,北海道日高のシブチャリ(現新ひだか町,旧静内町)を拠点に松前藩の収奪に抵抗して起きた近世最大のアイヌ民族の蜂起。
近世初頭以来日高沿岸部のシブチャリ地方のアイヌ(メナシクル(東の人の意)の一部)とハエ(現日高町,旧門別町)地方のアイヌ(シュムクル(西の人の意)の一部)との漁猟圏をめぐる争いが続いていたが,1668年4月,ついにシブチャリ・アイヌの首長シャクシャインがハエ・アイヌの首長オニビシを刺殺するという事件に発展した。
そのためオニビシ方のアイヌは藩庁に武器援助を要請したが,藩側に拒否されたうえ,使者のウタフが帰途疱瘡にかかり急死した。
このウタフ死亡の報は,アイヌの人たちに松前藩による毒殺として伝えられ,この誤報を契機に両集団間の紛争はまったく新たな方向に発展した。
すなわち,シャクシャインが東西両蝦夷地のアイヌに檄をとばし,反和人・反松前の蜂起を呼びかけたため,69年6月,東は白糠(しらぬか),西は増毛(ましけ)(ただし石狩アイヌは不参加)に至る東西蝦夷地のアイヌが一斉に蜂起,和人の商船や鷹待らを襲撃し,東蝦夷地153人,西蝦夷地120人の和人が殺害された。

 このようにシャクシャインの蜂起は,系譜的にはアイヌ民族内部の争いを前提とし,ウタフ毒殺という誤報とシャクシャインの檄を大きな契機にして,民族内部の争いから松前藩に対する全民族的な蜂起へと一挙に質的に変化発展したところに大きな特徴がある。
その原因について近世の記録では,和人鷹待や金掘人夫の策動とするものもあるが,事の本質は次の2点にあった。
第1は,松前藩の成立と展開,とくに商場知行制と蝦夷地における砂金採取場や鷹場の設置によって,アイヌ民族の収奪や漁猟場の破壊が一段と進み,アイヌ民族はかつてない民族的危機に遭遇していたこと。
第2は,アイヌ社会自体が収奪と抑圧の嵐にさらされつつも,和人との関係はいまだ交易を主体にしていただけに,アイヌ民族本来の共同体はまだ破壊されていず,条件さえ整えば共同体首長のもとに立ちあがれるだけの力を内包していたことである。
それだけに,この蜂起は松前藩のみならず幕府にも大きな衝撃を与え,幕府は松前氏の一族松前八左衛門泰広(旗本)に出陣を命じ,津軽藩にも出兵を命じた。
幕府がアイヌ民族の蜂起に直接的な指揮権を発動したのはこれが最初である。
松前藩は急きょ軍隊を編成して鎮圧にのりだし,当初は苦戦したが,鉄砲と毒矢の差,アイヌ勢の分断策もあり,アイヌの勢力はしだいに弱まり,10月シャクシャインは松前軍の奸計でピポク(現新冠町)に誘殺された。
その後アイヌの降伏が続出し,71年に最終的に鎮圧された。
この過程で松前藩はアイヌに対し絶対服従を誓わせた7ヵ条の起請文を強要したが,これを契機に松前藩のアイヌ民族に対する政治経済的支配は一段と強化された。

[榎森 進][索引語]シブチャリ メナシクル ハエ(蝦夷) シュムクル シャクシャイン オニビシ(人名) ウタフ 松前八左衛門泰広 ピポク©Heibonsha Inc.


このように、決して和人対アイヌが直接の契機ではなく、むしろアイヌ同士の争いに松前藩が巻き込まれた形で始まった「乱」に過ぎないのです。